menu
沿革

白峰会のあゆみ

明治32年 7月 アメリカ・メソジスト教会女性宣教師ヴァン・ペッテン女史の援助により、横浜市南区八幡町に、二宮ワカ女史が警醒小学校附属教育所(中村愛児園の前身)を創設。
明治38年 3月 横浜市中区西竹の丸に相沢託児園(高風保育園の前身)設置。
昭和5年 10月25日 二宮ワカ逝去(69歳)。
昭和6年 4月 平野恒が中村愛児園、相沢託児園園長就任。
昭和15年 12月 横浜母性学園を設置。平野恒、園長就任。
昭和19年 10月 皇后陛下より中村愛児園にご下賜金を賜る。
昭和21年 2月18日 皇后陛下のお召しにより、平野恒、宮内省にて拝謁。事業について言上。
ララ救援物資中央委員会委員就任(昭和27年まで)。
昭和24年 3月13日 高松宮殿下、中村愛児園、横浜保母学院をご視察。
6月 中村愛児園、高風保育園が児童福祉法による保育所として認可。
昭和27年 5月 社会福祉事業法に基づき、財団法人白峰会を社会福祉法人に組織変更、平野恒、理事長に就任。
7月 白峰会本部内の白峰会診療所を横浜市南区中村町三丁目170番地に移転、夜間診療開始。
昭和30年 4月 中村愛児園園舎を増改築、定員変更127人。
8月 高風子供園園舎の一部改修、定員変更60人。
昭和31年 4月 朝日新聞「親探し運動」により高風子供園児1名、実父母の許に帰る。
昭和33年 12月 朝日新聞「親探し運動」により高風子供園児1名、実母の許に帰る。
昭和34年 9月 白峰会創立六十周年を記念して「白い峰」──白峰会六十年の記録──を出版。
10月12日 秩父宮妃殿下のご臨席をえて、白峰会六十周年並びに横浜保育専門学院二十周年の記念式典、記念祝会、展示会を開催。併せて児童福祉法制定二十周年を記念して記念行事を行う。
昭和41年 1月25日 横浜保育専門学院を教育機関として分離。学校法人白峰学園を設置、横浜女子短期大学(保育科)を設置、定員100名。平野恒、理事長就任。
4月 高風子供園をテーマとしたTBSテレビドラマ木下恵介劇場「記念樹」として放映(昭和42年2月まで)。
昭和46年 7月22日 児童憲章制定20周年を記念して「明日に生きる子どもの絵展」を開催(横浜市中区伊勢佐木町、有隣堂ギャラリー)25日まで。
昭和48年 7月 中村愛児園園舎全面改築落成、定員変更(127人→200人)。
昭和54年 5月20日 平野恒、神奈川新聞社の依頼により「わが人生」執筆、43回連載(昭和55年3月9日まで)。
昭和59年 10月 第1回「美しき躍動」開催。爾来今日まで年中行事として継続。
昭和62年 11月 平野恒 勲3等瑞宝章受章。
平成10年 1月 平野恒逝去(99歳)。
2月 平野建次、理事長就任。併せて学校法人白峰学園理事長・学長となり、現在に至る。
平成20年 10月 全国社会福祉協議会100年を記念し、天皇・皇后陛下御臨席のもと、社会福祉事業を110年継続されていることで特別表彰。合わせて「感謝のつどい」開催。
平成25年 8月 福祉新聞に福祉を創った女性たち「神奈川のお母さん 平野恒」の記事が5回にわたり掲載される。
平成26年 4月 上記「白峰保育園」開園(定員90人)。
平成29年 1月 社会福祉制度改革による新定款許可。中村愛児園、高風保育園第三者評価受審。
12月 天皇陛下より中村愛児園にご下賜金を賜る。
平成30年 1月 中村愛児園定員変更許可(200人→170人)。
平成31年 1月3日 平野建次 逝去(82歳)。
1月25日 中川緑、理事長就任。

委細

より詳細な沿革はこちらをご覧ください。

白峰会 沿革(pdf)